■大家業における原状回復義務とは?
大家さんと建物の賃貸借契約を介して契約した賃借人さんが、退去時に借りていた貸室を大家さんへ引渡し(返還)する際において、借りている期間に生じた建物に対する損傷※について回復させなければならないという原則。
※後述しますが、現在ではここで言う「損傷」については、一般的な解釈の範囲と異なる細かい定義がされています。
■原状回復義務のための契約時 保証金・敷金と、それらにまつわるトラブルの増加
居住者さんが最初にお部屋を借りる時には、賃貸借契約と併せて通常は数か月分の敷金(保証金)を予め大家さんへ預け入れることが長く一般的となってきました。家賃滞納や退去後の原状回復費用やその他「何かがあった時のため」の費用を賄う為です。
しかし、この古くからの慣習と、主に「原状」という抽象的な表現を悪用する形が次第に増え、元賃借人さんの側から敷金を返還して欲しい、清算内容がおかしい、大家さんに言っても返して貰えないというようなトラブルや紛争が多発するようになったことから、大きな社会問題となっていきました。
そうした状況から、現在では「原状回復義務」に関して、いくつかの法令が施行され、判断基準がより分かりやすいものとなるように、従前よりもより具体的で共通の認識となるような動きがすすめられています。
■トラブルの原因に言葉の抽象性~「原状回復」の「原状」とは?
「原状回復」と聞いて、皆さんはどのような回復をすればよいと考えるでしょうか?日本語としての話で言うと、
●「原状」➡元の状態
ということで、そこから推測した場合には「契約した時と同じ状態」というように考える方が多いと思います。
けれども、そうなると新築時から10年間、建物をまるまる1棟借りていた賃借人さんがいた場合、建物1棟を10年後の返却の際、新築時と変わらない同じ状態にしなければならないとなるわけで、少し変な話になってきます。
こうした、「よく分からない認識のもの」へ戻すことがきまり、と言われていたようなものですから、トラブルや紛争も多くて当たり前だったとも言えます。
また、日頃から不動産と頻繁にかかわりのある専門家ならともかく、一般の人は「原状回復」なんていう言葉も聞きなれていませんから、大家さんや専門家である不動産業者さんから「そういうものです。契約書にハンコ押しましたよね?」と言われてしまったら、なかなか反論することも難しかったのではないかと思うのです。
また、大家さん自身も、任せている不動産屋さんから「そういうものですし、きれいにして返して貰えればすぐに新しい募集も決まりますしね。」と言われるがままに不動産屋さんの会社の一部である工事会社さんを使って、せっせと原状回復工事をされてしまっていた、というケースも多くあります。
そして、実際に紛争となった時に訴えられるのは「大家さん」という事になります。
こんな不毛なトラップに多くの人がひっかけられて、多くのお金と時間とエネルギーを奪われる結果となったのが「原状回復トラブル」です。
やはり、大家業の健全運営のためにも、改めて最低限必要な知識はインプットしておかなければなりません。
結論から言うと、現在の認識では「原状回復」を「借りた当時の状態に戻す」ととらえることは認識としてあまり正しい内容ではありません。
ここからは、「原状回復」に関する認識を具体的に形にしていった各法令を見ていきたいと思います。
■原状回復義務に関する法令①『原状回復をめぐるトラブルとガイドライン』<国土交通省>1998年(平成10年)3月
※平成16年2月、平成23年8月に裁判事例及びQ&Aの追加改訂を行っています。
原状回復について、
■経年劣化、通常使用による損耗の修繕費用は「賃料に含まれるもの」
としました。
これにより、原状回復が、賃借人が借りた当初の状態へ戻す状態を示すものではないということを明確に示しました。
しかし、「ガイドライン」は基本的にあくまで「標準的な目安」であり、法的拘束力があるわけではない為に、あまりトラブルの減少に対する効果がありませんでした。
■原状回復義務に関する法令②『東京都賃貸住宅紛争防止条例』<東京都ルール>2004年(平成16年)10月交付・施行
居住する世帯の約4割が民間の賃貸住宅である東京都では、全国の中でも特に原状回復トラブルや紛争が非常に多いことが社会問題化しており、2004年(平成16年)の10月にはいわゆる「東京都ルール」という形で『賃貸住宅紛争防止条例』を全国でも最も早く原状回復トラブル防止と解決のための条例として施行しました。(石原慎太郎都知事)
具体的には物件を大家さんと賃借人さんとの間で仲介する宅建業者に対し、紛争・トラブルの事前防止策として以下を説明する義務を負わせました。
・退去時における住宅の損耗等の復旧について(原状回復の基本的な考え方)
・住宅の使用及び収益に必要な修繕について(入居中の修繕の基本的な考え方)
・実際の契約における賃借人の負担内容について(特約の有無や内容など)
・入居中の設備等の修繕及び維持管理等に関する連絡先
条例という地方自治法により定められた東京都の「きまり」となったことで、少なくとも東京都内での敷金・原状回復トラブルについてはこのルールに反する内容は条例違反となり、罰則規定が適用されることになりました。
■『東京都賃貸住宅紛争防止条例』と併せて作成された、もっと分かりやすい『賃貸トラブル防止ガイドライン』
その条例に合わせて、『賃貸住宅トラブル防止ガイドライン』というものも作成され、賃貸住宅の契約における「認識の共有と普及、注意」のために効果を発揮してきました。
画像:賃貸住宅紛争防止条例&ガイドライン
「東京都ルール」は東京都内の条例であったわけで、他府県内の問題について制限するような効力は本来なかったわけですが、この「東京都ルール」が全国に広がる敷金に係るトラブルと紛争、そこにおける「原状回復」に対する一定の規範として徐々に参考とされるようになったという経緯がある意味で、非常に存在感のある条例となりました。
賃借人さんが退去する際の敷金精算や入居期間中の使用による室内修繕について『賃貸住宅トラブル防止ガイドライン』を参考に判断される関係者も多くなりました。
特に、賃借人さんの入居期間中の修繕に対する「大家さん側」「賃借人さん側」の費用負担の境が従前よりも非常に明確になった意味で、とても画期的な条例でもありました。
■東京都ルール(賃貸住宅紛争防止条例)が明確にした原状回復義務の認識
その中でも特に明確になったことは「原状回復が、賃貸借契約開始当時のの状態に全て戻すという意味ではない」という事です。
●賃借人側:善管注意義務(善良なる管理者の注意義務)のみ
➡賃借人さんの故意・過失による損傷、あるいは故障・不具合が生じていることを知りながら放置したことによって損傷被害がさらに発生し、拡大した部分の損傷について、又は通常の使用方法を越えた使用方法により、賃借人さん自身の責任によって生じた住宅の消耗や棄損などについては、賃借人側に修繕義務のある内容となる。
つまり、簡単に表現するとすれば、不動産は「モノ」なのだから自然消耗するのは当たり前で、その当然、自然消耗や経年劣化の起こる「不動産」で「使用収益(賃貸業)」をしている大家さんは、その事業のための当然の負担として、自然消耗や経年劣化の部分は自分で費用を出してね、という事です。
法律の言葉が難しくて頭が痛くなるでごわす
一方で、そうは言っても最終的に強制力があるのが東京都条例であることから「東京都内」に限られていた為に、地方では「東京都ルール」施行以降も原状回復や敷金に関するトラブルや紛争がいつまでも無くならない現実もありました。
概要版>賃貸住宅紛争防止条例&賃貸住宅トラブル防止ガイドライン(改訂版)
■原状回復義務に関する法令③改正民法599条・621条622条(597条・599条・600条)/2020年(令和2年)4月1日施行
2017年5月に「民法の一部を改正する法律」が成立したことにより、2020年(令和2年)4月1日より、契約に関するきまりを中心に見直しがされることとなり、大家業に関わってくる分野でも賃貸借契約に関する内容が変更されることとなりました。
■借主に対する収去義務の明文化と、借主の原状回復の範囲ついて「故意・過失」を強調
(借主による収去等)第599条 借主は、借用物を受け取った後にこれに附属させた物がある場合において、使用貸借が終了したときは、その附属させた物を収去する義務を負う。ただし、借用物から分離することができない物又は分離するのに過分の費用を要する物については、この限りでない。
2 借主は、借用物を受け取った後にこれに附属させた物を収去することができる。
3 借主は、借用物を受け取った後にこれに生じた損傷がある場合において、使用貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が借主の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
■賃借人が負うべき「原状回復」の内容として通常使用・経年劣化分の除外、善管注意義務の範囲内という限定
(賃借人の原状回復義務)第621条 賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
■賃貸借契約に対しても準用する内容の明示
(使用貸借の規定の準用)
第622条 第597条第1項、第599条第1項及び第2項並びに第600条の規定は、賃貸借について準用する。
■「敷金」に関する法律関係を定めた規定が出来ました
(敷金)
第622条の2 賃貸人は、敷金(いかなる名目によるかを問わず、賃料債務その他の賃貸借に基づいて生ずる賃借人の賃貸人に対する金銭の給付を目的とする債務を担保する目的で、賃借人が賃貸人に交付する金銭をいう。以下この条において同じ。)を受け取っている場合において、次に掲げるときは、賃借人に対し、その受け取った敷金の額から賃貸借に基づいて生じた賃借人の賃貸人に対する金銭の給付を目的とする債務の額を控除した残額を返還しなければならない。一 賃貸借が終了し、かつ、賃貸物の返還を受けたとき。
二 賃借人が適法に賃借権を譲り渡したとき。
2 賃貸人は、賃借人が賃貸借に基づいて生じた金銭の給付を目的とする債務を履行しないときは、敷金をその債務の弁済に充てることができる。この場合において、賃借人は、賃貸人に対し、敷金をその債務の弁済に充てることを請求することができない。
(期間満了等による使用貸借の終了)第597条 当事者が使用貸借の期間を定めたときは、使用貸借は、その期間が満了することによって終了する。
2 当事者が使用貸借の期間を定めなかった場合において、使用及び収益の目的を定めたときは、使用貸借は、借主がその目的に従い使用及び収益を終えることによって終了する。
3 使用貸借は、借主の死亡によって終了する。
(損害賠償及び費用の償還の請求権についての期間の制限)第600条 契約の本旨に反する使用又は収益によって生じた損害の賠償及び借主が支出した費用の償還は、貸主が返還を受けた時から1年以内に請求しなければならない。
2 前項の損害賠償の請求権については、貸主が返還を受けた時から1年を経過するまでの間は、時効は、完成しない。
細かいところで言えば、もっと関連してくる箇所もありますが、概ね大家業に特に係わってくる改正民法の内容としては以下となります。
(以下の場合には賃借人さんが目的物の修繕を責任を問われずに行うことが出来る)
・賃借人さんが修繕の必要性を大家さんへ通知した、またはそれを知っていたのに大家さん側が相当の期間内に適切な修繕を行わない場合
・急迫の事情が認められるとき
②賃貸中の不動産のオーナー変更があった場合のルール(賃貸中の不動産の所有権の譲渡による支払先の変更)
・新しいオーナーさんが賃借人さんへ賃料の支払いを請求する際には登記要件が必要であり、それが無い場合には賃借人さんは従前の所有者あて、又は賃料の供託という方法での賃料支払いを有効的にとることが出来る。
③賃借人の原状回復義務と収去義務の明文化
賃借人の負う原状回復義務の範囲には、通常消耗、経年劣化による摩耗、善管注意義務を超える内容を要因とした棄損は含まれない。
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④賃貸借契約における「敷金(保証金)」に関するルールの明文化
「民法」という日本における私法の一般法によって、改めて原状回復義務についての範囲が明文化され、具体的になったこと、そして120年ぶりに現在に照らし合わせた形でそれが改正されて、これまで混乱の原因となっていた難しい表現が、具体的な判断基準として一般にも成立する形となったことは、トラブルの止まない敷金問題の解決にとって大きな前進となりました。
【改正民法621条】(賃借人の原状回復義務)賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年の変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
その他、改正民法613条(転貸の効果)では転借人が負うべき義務の内容として、これまたトラブルの多かったサブリース契約と関わる内容や、借地権の無断譲渡転貸について、そして昨今トラブルが相次いだ「民泊」にも及ぶ内容に繋がる内容となりました。
国土交通省では民法改正等を踏まえた「賃貸住宅標準契約書」を改定し、公開しています。
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